ホタテのポアレ。アスパラガスいいよね。魚介系は高騰必至らしいが。
さぁ恐慌めいた時節のあれだけど。フランスでどんな約束を交わすのか。外交政策も忖度を越えた自縄自縛のまさに特攻精神の歴史改竄でもやらかすのか。国破れて山河あり。家屋焼かれて王様生き残り。中国だって米国国債をオール売却したらどーなります?その備えでまさに買い支える血税の成果だから。ジョーカーのようなあのじいさんが落選したらどーなります?
生ハム。人間の太腿も熟すればこんな味わいになるのかな。こわいこわい。
蝦蛄syako、鰹、さわら。お造りね。
喜久よい。酔が古いから変換出来ない。ね。なんか薄かった。味わいは呑んだ人間にしか分からない。好き嫌いも当然だ。
メンチカツ。讃岐ポークを二度揚げ。
晩夏のロゼワイン会だ。ワイン好きもロゼに思いを馳せるマニアックさが欲しいよね。赤も白もいいけどさ。ロゼの独特の色彩に合わせて桜開花の時節の合わせる向きもあるけど。通年オールシーズン扱うお店からすると顰蹙らしい。蘊蓄もワインを味わう趣向の一部と思えば別に気にすることもない。
祝祭の祝宴もたけなわ。
日本酒を呑む。食中酒というカテゴリー。料理はそのまま食べ終えればいい。だけど、祝いとか分ち合いとか団結とか結束とか忠誠とかいろいろな記別が課せられる。集団団体組織様々な人間の関係性においての内在的な必然であり顕在化する罠でもある。その罠が酒だ。乾杯って何だろう。長渕が歌ったあの祝いの場での誓いの古臭い歌。しかも汗臭くて涙未練がましい。下手な歌詞の文言オンパレード。でも僕は好きだった。大昔、高校の修学旅行でクラスの副担任がこの歌を歌った。バスの中、マイクを握って。
その副担任の化学の先生は毎年緒恒例行事、新入生が入って来ると在学の連中が「応援歌」と「校歌」を体育館で教え込むオリエンテーションに異議申し立てた。学生の自治に敢然と熱血の教師が立ちはだかった。
あの時は、車山だった。突然の雷雨でびしょ濡れになった修学旅行中の僕たちを気遣い、「大丈夫かぁ!」何回も点呼をとり土砂降りの雨の中へ。バスの奥でタオルにくるまった担任豊田。古文教師。副担任は何回も出たり入ったり。温故知新。
鳴門からの鱸すずきだ。肝も新鮮だからこそ。酢橘と塩でいく。流行りの熟成なんぞいらん。新鮮こそ命。温故知新ならず。
夏が終わりの晩夏のようね。大気が不安定でいつ雷雨が来るかも知れない。もう茹だる夏は終って、秋がこそこそどころか大手を振ってやって来る。
しかしまだまだ。喉が渇く。潤せ渇きを。
最近ははまっている上海焼きそばだ。プリプリの海老が4個入っている。熱々だ、火傷するほどだ。
Jazz bar見っけ。
タモリも春樹も早稲田でjazzに触れ合った。彼らの人生にJAZZは深く関わる。学生運動華やかなあの時代、早稲田講堂からピアノを運び出し正門奥の創立者大隈重信像の前で山下洋輔は演奏したエピソード。反体制だか主体性の確立だか。学生のムーブメントが最近、ないのかな。
若かりし渡辺貞夫が米国バークレーから帰国して最初の演奏は六本木PIT INN。今や重鎮老翁のナベサダだけど。あの頃はまさにサックス侍だった。最初の一音を聴いた洋輔氏は椅子から滑り落ちそうになったとかの述懐もあるのだけど。
ジャズっていいよね。この機動力のフレキシブル。大きなホールも要らない。まるで茶の湯の世界だ。侘び寂びスイング。サックスは電源要らない。設置されたピアノで軽やかに吹ける。夜も更ける。
お盆休みも終了。これから天気も不安定。サトウハチロウ「小さな秋」を見つけた。
気づけば夏は終って秋さえも終わって。消費税は上がってそのまま20%へ向かう。軽減税率の恩恵よりも事務手続きの煩瑣にたじろぐ。日本の潜在的経済成長のカギは個人消費の拡大だけど、値上がってまで浪費するだろうか。倹約の先はどこって?
しかし凄まじい総ジャーナリズム状況だな。煽り運転殴打の男と同乗者の女の逮捕劇。ドライブレコーダーが爆発的に売れているらしい。取り締まり強化の為の罰則強化の法整備に向けて、否、ドライブレコーダーの設置義務化かな。それと高速道路の監視体制強化その為の人員確保の予算配分の恩恵。ますます警察の権限強化は強まる。監視体制。警察国家そして上級国民と下級国民の選別強化。我らが安倍総理は二度目の夏休み中だけど。
行政サイドのマスコミ操作も極まれり。被害者サイドへのコミットによって総ジャーナリズムは容易く創出される。
情熱のパエージャ。凄く気に入った。
山形と東京の高校生が闘った野球は延長戦。勝敗はつかず延長戦へ。
イタリアンレストラン。素敵な盛り合わせ。ポテサラを中心に味のメリーゴーランド。前菜チックに。キャロットラペ、ラタトゥユ。マロンの生ハム巻き。ピクルス。イタリアン玉子焼き。豪華だな。
生ビールをお替わり。
牛みすじ肉のソテー。柔らかい160グラム。いいね。最高。
さぁ〆の冷製パスタ。梅の酸味。きんきんに冷えている。カッペリーニ。トマトがてんこ盛り。かなり満腹だ。
超大型台風10号の接近による雨風はまだない。夕立のあとのもやもやサマーズ。放熱の余熱にうんざり。残暑も猛暑なのが辛いけど。
日本酒ブームも去り、ハイボールブームは至って堅調。しかしビールしかない。麦の恵み。麦が発酵してアルコールは誕生した。そして片やパンまでも。そして麺もめんめん。
サックスを連日練習している。ゴールドのメッキはくすぶり剥げても金は金。金管楽器なんだな。木管金管の区別はよそにサックスの外観は金属真鍮製だ。最近ではシルバーで出来た高額なサックスも誕生したのだが。ゴールドの筐体を振るわせ。沈黙の管体を狂わしく命を吹き込み響かせよ。
吹き終わったならば、この生ビールの狂おしいゴールドを飲み干そう。
マグロのカルパッチョ。オリーブオイルたっぷり。ナスのジェル。
確か鮪も和食では生の刺身ぐらいしか芸当がないけど。一部超高級寿司屋では熟成とかの鮮度ゼロで在庫管理展開するご都合主義な料理も幅を利かす。腐りかけもほどよい按配?
しかし、このマグロのカルパッチョは美味しかった。うまいものをうまいというだけでは、食の教養がゼロとかいう学者も居るようだが、はて?坐学の書誌書斎のくそ。喰らってこそだろ。音楽だって教養とかって、学者の専売特許じゃないんだよ。論じたって一音たりとも響かない。だから学者はバカにされる。ズレまくってる。御託をノベル価値無し。
ワインとかじゃなくてもいいんだ。この黄金の麦酒でいいわけ。
女形歌舞伎役者を描いた吉田修一『国宝』を感動的に読了出来た。朝日新聞の連載小説だ。この作者は年代的にも近くて青春小説の『横道世ノ介』や『橋を渡る』や『犯罪小説集』を楽しんだ。これからも面白い小説を書いてくれることだろう。
吉田修一は短髪にメガネ。すこしのひげ面。芸能と文芸。アートと政治と都市生活。注目すべき作家のひとりだ。同じ芥川賞作家であるお笑い芸人の又吉直樹や田中慎弥や西村賢太、羽田圭介などとも違う。メディアには出ない春樹を意識したのか経済通の龍を否定したのか。
確かに作家がタレントのようにテレビに出て来て慣れない芸能活動の如く、自作宣伝の戦略、また本人PRをやるのは不快だ。全神経を文学創作に没頭して欲しい。出版社に対する作家の貢献は小説を書き上げた時点で完了している。願わくば次なる新作への創作的傾注以外更なる貢献はない筈だ。まさか宮本輝のように?文芸評論も一切書かず、自作小説だけ書けばいい。
歌舞伎の人間国宝といえばやはり坂東玉三郎が圧倒的だ。海老蔵が反社の若者にバコボコにされた不祥事のあと、玉三郎がきっちり歌舞伎で支えた。あの凄み。芸への凄み。
人間国宝坂東玉三郎を見いだしたのは作家の三島由紀夫だ。三島由紀夫はマルチタレント作家の嚆矢的人物だ。戦後まもないあの時代。映画の主演、写真集、私設軍隊創設、ノーベル文学賞候補にもなった。文芸評論や戯曲創作、空手に剣道、言わずもがなのボディビルなどなど。小説家の枠を完全に逸脱していく。
そもそも人間国宝って何だろう。誰が決めるのか。小説家も国宝足り得るのか。文学の価値を新たに創造する文学作品。小説の書き手が公的時空で賞賛と金銭まで付与される事態、その政治的状況の下。
三島はノーベル賞を逃し、師匠の川端康成が受賞した。三島は事件を起こし、川端は自殺した。
文学の認定に有効性はあるのか。作者の吉田は芥川賞の選考委員を務める。