女形歌舞伎役者を描いた吉田修一『国宝』を感動的に読了出来た。朝日新聞の連載小説だ。この作者は年代的にも近くて青春小説の『横道世ノ介』や『橋を渡る』や『犯罪小説集』を楽しんだ。これからも面白い小説を書いてくれることだろう。
吉田修一は短髪にメガネ。すこしのひげ面。芸能と文芸。アートと政治と都市生活。注目すべき作家のひとりだ。同じ芥川賞作家であるお笑い芸人の又吉直樹や田中慎弥や西村賢太、羽田圭介などとも違う。メディアには出ない春樹を意識したのか経済通の龍を否定したのか。
確かに作家がタレントのようにテレビに出て来て慣れない芸能活動の如く、自作宣伝の戦略、また本人PRをやるのは不快だ。全神経を文学創作に没頭して欲しい。出版社に対する作家の貢献は小説を書き上げた時点で完了している。願わくば次なる新作への創作的傾注以外更なる貢献はない筈だ。まさか宮本輝のように?文芸評論も一切書かず、自作小説だけ書けばいい。
歌舞伎の人間国宝といえばやはり坂東玉三郎が圧倒的だ。海老蔵が反社の若者にバコボコにされた不祥事のあと、玉三郎がきっちり歌舞伎で支えた。あの凄み。芸への凄み。
人間国宝坂東玉三郎を見いだしたのは作家の三島由紀夫だ。三島由紀夫はマルチタレント作家の嚆矢的人物だ。戦後まもないあの時代。映画の主演、写真集、私設軍隊創設、ノーベル文学賞候補にもなった。文芸評論や戯曲創作、空手に剣道、言わずもがなのボディビルなどなど。小説家の枠を完全に逸脱していく。
そもそも人間国宝って何だろう。誰が決めるのか。小説家も国宝足り得るのか。文学の価値を新たに創造する文学作品。小説の書き手が公的時空で賞賛と金銭まで付与される事態、その政治的状況の下。
三島はノーベル賞を逃し、師匠の川端康成が受賞した。三島は事件を起こし、川端は自殺した。
文学の認定に有効性はあるのか。作者の吉田は芥川賞の選考委員を務める。