文学には記憶再現装置がある。人間の認知活動において情報の管理システムは最重要だ。インプットはアウトプットを前提にすると格段の生産性アップが証明されている。また記憶された情報がより活用できる為には思い出す喚起力も必要だ。情報の吟味は記憶による判別識別を経て初めて完了する。
さて思い出を巡る感情相剋が文学のテーマにされやすい。センチメントが一番劇的効果をあげるのは恋愛だ。新鮮な恋愛それは初めて人間を好きになるとき。初恋でも純愛でもいい。
ジュブナイルといえば大林映画だ。「転校生」「時をかける少女」など。自分の故郷を舞台に採用する。
地方と東京。大学進学上京一人暮らし。地方出身の小説家は大学時代を取材した小説を初期段階で必ず書き上げる。吉田修一や村上春樹、村上龍も宮本輝もそう。「風の歌を聴け」「ノルウエイの森」「青が散る」「限りなき透明に近いブルー」「横道世之介」津原泰水「ブラバン」など。
東京のひとたちも故郷がある。それは東京だ。十代の思春青春を過ごした時空そのもの。花の都我が大東京。文化の中心政治も経済も中枢。そんな場所で青春を過ごす贅沢はたまらないだろう。
今や自分の車で日本一周する夢が拡散している。退職金が入れば車を買って車中泊しながら日本を巡りたい。数百日掛けて「日本一周」をした夫婦の配信を見た。虚実告白。旅に飽きる。グルメの感動がマンネリになって飽食気味になる。日本の地方の闇を味わう。様々な人間との出会いが様々な感情を湧かせる。自動車旅の過酷な移動地獄。それは鉄道でもそうだろう。長時間の乗車がしんどい。運賃もガソリン代も馬鹿にならない高額だ。観光名所もそのうち感動しなくなる。せっかくの美食も飽きてくる。体力の限界心の疲弊。旅が日常になって本末転倒主客転倒の陥穽に落っこちる。それでも日本全国を巡る楽しさ。それなら車ではなく公共交通網を駆使した旅もいい。鉄道メインに宿泊は駅前ホテル。今は物価高でチープな旅もできないらしいが。移動ばかりの疲れる旅ではなくのんびり滞在を満喫できるスケージュール。いっそのこと家に居ても旅はできる。デジタルを遮断してネットを断ち切って。断食で健康になるように。デトックス。映像も活字すらも。
サウナもいいがお家のバスで半身浴でもいいじゃない。