カレーたまごの日記

小説やノベル、文芸について書きます。

「さよならだけが人生だ」 その宴のあとで..。

 

多分、宴は人生の重要な時空である。別に酒席でなくても宴会でなくても宴はある。祝祭のような言祝ぐ時空だけど。下戸には全く理解出来ないかも知れないけど酒の酩酊は多分、量を弁えるつまり分を弁えたコミュニケーションがどれほど大事なのかを知らしめる。

 

昨夜は日本酒会へ繰り出した。毎年1月にフリーアナウンサーの女性が主催される会が小滝橋の料亭で行われる。初回参加は15年の獺祭の会だった。それから毎年、ご好意で参加させてもらっている。すばらしいメンバーが集う。昨夜もロボット工学の若き権威、アイディア日本酒の製品化を目指す社長さん、妙齢なSMAP命の淑女、キャンディーズ蘭ちゃんそっくりの淑女、大手放送局の方々..などなど。

 

その集いの原型はフリーのアナウンサーの方の女子大時代からのご友人の所謂女子会であったが、マスコミ系の人脈で日本酒のネットワークは広がる。フリーのアナウンサーが「日本酒」に目覚め利酒師となり各種の集い、蔵巡りなど、特に彼女は地方局への赴任経験が蔵元との連携も密なのかなとも思う。

 

有名女子大のお仲間と我々は料亭の馴染み客のジョイントである。

宴たけなわ、中締め。そして宴のあとの楽しみへ。

 

「唐墨があればたのしい」粋な計らいである。

 

追加で唐墨が出された。そのままと炙った唐墨である。当ては「秋鹿」これしか..。

愛おしく時を心に刻む。

 

「花に嵐の例えがあるぞ さよならだけが人生だ」

 

この名訳は井伏鱒二.こんなエピソードがある。

 

瀬戸内の孤島から帰郷した文士らが別離の船がでる。井伏鱒二林芙美子が乗る。


港では別れを惜しんで「さようなら!さようなら!」島人の誠に熱き思いを感じて尾道に青春を過ごした林芙美子が号泣忙しく駆け込んで来た。

 

「人生って別れだけなのねぇ!」

 

船室にいた先輩井伏鱒二は「なんて大げさで大仰なんだろう」その時は嫌に思った。

 

「人生は別れだけ」から「さよならだけが人生だ」へ文学転回される。

 

体験のリアリズムから文学的リアリズムに普遍昇華される..。これぞ..文学の醍醐味だ。