桜が散っていた。桜吹雪のような降雪のようなチラチラ。曇天の鈍さ。鉛色とうす桜色。花弁の同心求心に吸い寄せられそうなデザインの収斂。
「今日で終わりね」
車椅子の介護老婆の呟き。「人生も終わりね」と通奏低音の無常の響と交わる。
あるがままなすがまま。成り行きを愉しみたい。
ある投資家の著作に英語学習の大切さを力説しながら自分が受けた国語教育を批判していた。小林秀雄をこき下ろしていた。文芸批評の最高峰の文章をどこまで理解しての話かふと疑問に思った。自分の現代国語の記憶で言ってもみな興味深かったし楽しかった記憶しかない。
母校の東大で講演後に「文学不要論について」聞かれた小説家の古井由吉氏の解答が興味深かった。それは不要と言う論点と必要という論点の価値判断が優れて文学理解であるという話。文学は文芸批評も含めてすごく大切だ。
余生を社会に貢献したいと数百億の利益を獲得した投資家の話から思うには英語同等にそれ以上に母国語の文芸イメージがないと社会に貢献することもままならない。なので小林秀雄ぐらいきちんと読んでおこうと思わなければいけない。
さてその道の達人がそれ以外のこともすごいかというとそうではない。自分の専門外には謙虚な誠実さが必要だ。