カレーたまごの日記

小説やノベル、文芸について書きます。

ノベルの表現って...。

 

大学のマスコミ論の講義だったけど。表現行為はイコール思想行為である、と。

 

権力サイドが自分たちの批判を反らす為に「報道が客観性を失っている」「中立な報道を望む」とかの問題だけど。レッテル張りはその常套手段でもあるよね。つまり自分たちの独裁を邪魔するな、批判するなという..。

 

つまりそもそも表現は思想行為そのものであって思想のない表現というもの自体があり得ない。

 

権力サイドの「思想のない表現をしろ」という事自体の強烈な思想性はどーなの?という話なんです。「〜という話なんです」山本太郎風な言い回しだけど。

 

だからノベルを書く事は表現行為そのもので思想性を絶対に帯びてしまう。作者固有の世界観やナラティブに託した願いや祈りという地平へ絶対に繋がって行く。

 

作者自身が意識するしないに関わりなく。これって凄く怖いことでもあるけど。

 

そして自由とい普遍的問題へ繋がって行く。自由なるイマジネーションなんだよね。

 

ドクマも教義も党派も超えた自由なる異次元時空の創造的主体性が立ち上がってこそなんだよね。