パエージャ!
祝祭を祝え。
旅行と祭典。大切な二つのベクトルだ。今ほど、移動性と祝祭性が阻止され妨害される社会的状況もないほどだ。疫病を封じ込める。集団免疫もだめなら画期的ワクチンだというけれど。
検査態勢の確立がいまだに叫ばれる。しかし殺到すれば崩壊する。パンクだ。
都内の新規感染者が激減する。もう解除してもいいのではないか。いやいや全然油断出来ない。気のゆるみが爆発的感染になった。出歩くな店開くな。自警団がいるらしいがどこでどんな活動をしているのか?
パエージャ!
祝祭を祝え。
旅行と祭典。大切な二つのベクトルだ。今ほど、移動性と祝祭性が阻止され妨害される社会的状況もないほどだ。疫病を封じ込める。集団免疫もだめなら画期的ワクチンだというけれど。
検査態勢の確立がいまだに叫ばれる。しかし殺到すれば崩壊する。パンクだ。
都内の新規感染者が激減する。もう解除してもいいのではないか。いやいや全然油断出来ない。気のゆるみが爆発的感染になった。出歩くな店開くな。自警団がいるらしいがどこでどんな活動をしているのか?
案の定、ごった返しの渋谷のサタデーナイトではなかった。主人を待つハチ公のモニュメント。いつもならぎっしり人で溢れる場所だけど。こんな閑散とした感じの渋谷がいつまで続くのか。漠然とした不安も漂う。
人生は別れが全てである筈もなく。井伏鱒二の名訳によって凄まじく逆説めいた言説が遺った。それこそ「花に嵐の例えも」あるかもしれない。価値ある人生を送った方がいいけど、だれがその価値を決めるかは自ずと自明だ。それは生きゆく自分だけだ。
出会いとその繰り返しの待ちぼうけ。人生は時間の中にしかない。生きている間のその時間の中だけ。当の本人の時間の中だけだ。回顧や追憶は生きている時間の中だけの話。
その先にスクランブル交差点が見える。外出禁止令も出せる政治的状況だ。もうすぐかも知れない。
桜も咲いて、気温も20℃を越す日々がきた。寒さも彼岸まで。3.20も過ぎた。
まぁプロのクリエイターが毎日、100日も連続でツイートした4コマ漫画の余韻がある会社の企画だったからと作品それ自体までもその連載中の得難き時間の共有までも否定しかねない話になっていくのは違うと思う。別に電通案件だって気にすることはない。そもそも電通が企画しなかったならば日の目を見なかったかもしれんよね。
平成元年の初冬にブームとなった「一杯のかけ蕎麦」の顛末を思い出した。時は自民党政権。朝日新聞の調査報道に端を発したリクルート事件によってバブル真っ最中の金権政治が最高潮にあった竹下登首相に対して追撃の国会質疑でほぼ全文朗読した議員も出た。そのとき金の延べ棒で辞めた金丸も泣いたとかの逸話もあるのだけど。その後日本のメディアのお得意の揚げ足取り、後だしジャンケンで作者の不祥事発覚でもってブームは去った。そのブームの過程で電通はこの作品の映画化を仕掛けた。
後になってこのお涙頂戴のお話を読んだ。涙腺破壊のいい話だった。この感動は今でも鮮烈だね。文芸作品ですよ。これぞ。
だから中身そのテクストの快楽をまずは味わってみる。ワニだってそうだよね。みんなワニを自分に置き換えて「もし自分が100日目に死ぬ」ってなったらどうしよう。まるでジョブズのように、毎朝、今日死ぬ自分をイメージして悔いなき日々を過ごす、みたいなことになっていたのかも知れない。でもワニだって自分が100日目に死ぬなんて気づいてすら居ない。だからいたたまれない。本当に死ぬのかなぁ。死んでほしくないなぁ。でもやぱり人間誰しも死ぬわけだし、このワニも死ぬんだろうな。どんな死に方になるのかなぁ。ロランのバルトが言うように人のセックスと話の次を知りたがるまさにセオリー通りの物語の有り様だけど。
ワニも映画となって作品世界でいきるのかな。ブームの作り方、ネットマーケットの仕掛けなど議論を呼んでいるわけだけど。仕掛けの種明かしってやらんほうがいいのかもしれないが。自作自演の狂言誘拐みたいでなんかね。
あぁこのシュークリームが食べたい。でもこんなおいしいシュークリームを作っていたお店がなくなった。いろいろなケーキをお店の奥のある工房で作っていた。昨年12月に閉店した。
黄昏の追憶めいた甘い生活を回顧したいとき、美味しい食べ物の記憶は鮮烈だ。甘い甘いケーキやシュークリームを懐かしむ。
出歩くのも控えることしばしば。ネット三昧なのかな。最近の週末事情。
今年の春の選抜高校野球は大相撲と同じ無観客試合だ。毎日新聞主催の声楽コンクールで第一位の高校生が「君が代」国歌独唱を晴れの甲子園で行う。
恥ずかしながら国歌「君が代」を歌えなかった。無知だったからか。関心がなかったからか。小中高と学校で歌わなかったからか!
でもネットで春の選抜高校野球の女子高生の歌声を聴いてから、歌詞を覚えた。
それから手当たり次第に彼女達の「君が代」を聴いた。
そして彼女の独唱に出会った。野々村彩乃さんだ。
あまりにも神々し過ぎる。
彼女は今ではプロのソプラノ歌手となって活躍している。
そしてまたしても出会いが会った。この曲である。
すかさず、原曲オリジナルを探した。感動の嵐だ。最高の楽曲だ。歌手も最高だ。
原曲はイタリア人テノール歌手が歌った。そこへ英国人オペラ歌手の彼女が
一緒に歌いたいとデュエットをオファーした。
イタリア語「Con te partirò」(君と一緒に旅立とう)が英語「Time To Say Goodbye」という曲名になった。
音楽は巡りめぐる!
久方ぶりに、このラーメンを食べる。ラーメン400円が450円に、大盛りが90円から100円。消費税アップに合わせて上がったのだろうね。全く味は変わらない。時代の趨勢に抗い続けてずっと反骨の在野精神でも培っていたのかな。そんな学生街にあるのだから、今は裕福な学生たちが多いのかも知れない。立憲主義を掲げた建学精神も今は何処か知らないけれど。
中毒性というか追憶の妙味というか。
そろそろ、受験シーズンだ。回顧回想..。
プレミアムのビールしか飲みたく無い。注ぎ方とかグラスを磨いているとかよりも、品質そのものに注意したい。濃厚な旨味だね。
もちろん餃子との相性は最高だけど。
上海塩焼きソバも実に、ビールと相性がいい。
二匹の猫が領土争い。縄張りを巡る唸るがなるの不均衡なタイミング。能のような照明に照らされたウッディーな舞台の左右両端から。うなり声はまさに夢幻の彼方から。通奏低音でもないけれど、それなりに不穏な破調を帯びる。
自分の領土を侵略猫から死守せんと。目まで瞑って唸ってうなれ。
新参ながら黒々と太々しい。タンゴでも歌え。じりじり躙って闘え!
まぁ今年も美味しいビールを飲みたい。年末年始の休暇を終えたお店が営業開始する。
飽きもせず食べ続ける。このハモンイベリコの生ハムをたくさんそれこ店の人が呆れるほど食べてやる。