カレーたまごの日記

小説やノベル、文芸について書きます。

ノスタルジーの定期演奏会、1981.8.5。

2017.8.5

今日、8.5に生まれた柴咲コウは36歳になる。もうかれこれ。ノスタルジーの記憶が流れる。高二の夏の定期演奏会があった。音楽に熱中し格闘した熱き日々。あまりにも未熟で拙かった。しかしあの時だけの今思い起こしても胸がいっぱい切ない。青春が奏でた世界唯一の音楽だったのだ。

私は高校時代の三年間、吹奏楽部に所属した。テナーサックスを吹いた。毎年我が吹奏楽部は夏に定期演奏会を行う。今日、八月五日は高校二年の二回目の定演だった。1981年のことである。

吹奏楽部には専用の部室があった。グラウンドに面したしかもお城の石垣にも面した場所にプレハブの部室があった。テニスコートも目の前にあって大きな木が一本あった。

高校の校舎は城址の中につまり城郭の中にあった。1620-1945.8.8。築城後の325年間。B29の爆撃に遭うまで高校のあった一帯に聳えていた。櫓も林立していた。内堀も瀬戸内海に通じる入り江もあった。

高三の時、全面移転でその場所を去った。高二の夏は城内のその校舎と吹奏楽部のプレハブ部室の最後の夏だった。

部活を経験した事があれば誰でも知っているのだけれど、一年から二年になり、二年の先輩は三年になる。そして最後の夏となる。二年の夏は先輩との最後の夏の定演なのである。

高二の時、テナーサックスは私だけだった。サックスパートは5人。アルト2、テナー、バリトン、そしてバスクラリネット。先輩女子はアルトとバスクラだった。

記憶に残るショルタコーヴィッチ「交響曲第五番第四楽章」だ。演奏会メインの楽曲。多分、私の一番印象に残る音楽だろう。「祝典序曲」もいいし「パンチネルロ」もいいけど。

演奏会では伝統があって毎回「栄光ヘの脱出」を吹く。「夏の扉」を最後に吹いた。松田聖子は1980年デビュー。我らが80年代の燦然と輝く奇跡の歌姫だ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=3DpENM3x2gk