カレーたまごの日記

小説やノベル、文芸について書きます。

リトルボーイの憂鬱。

 

2017.8.6

原子爆弾が広島に投下されて今日で72年を数えた。日本は三日後に長崎にも投下されて、本土を焼き尽くされながらも消耗戦の極致「本土決戦」を待たず、無条件降伏した。原爆効果である。ソ連軍がいきなり参戦したショックも大きかった。

原爆は戦争の力によって人類にもたらされた不死の私生児である。この忌まわしき落胤のおぞましさと来たら。ナチの遂行する「ウランヘロイン」に対抗して米国中心の連合国がマンハッタン計画を始めた。

当初、最初の原爆投下は「京都」だった。そして三発目は「東京」だった。

広島を襲った原爆はコードネーム、リトルボーイ。エノラ.ゲイ号は原爆投下の極秘任務を遂行する為の特別仕様であった。機長の母親の名が翳された。

人類初の出来事が象徴性を帯びて言説空間を駆け巡る。軍拡競争が過熱化する。軍事費に湯水の如く注ぎ込んで来た。軍産複合体の利潤の根源はこの軍備拡張にある。戦争を維持管理遂行して行く為に人類はあらゆる才知才能を惜しげも無く投入してきた。戦争テクノロジーの発展繁栄を誰が望んだか。

核の後始末がどれほどの人類の負の遺産なのかは平和利用の筈だった原発の問題で露呈している。リトルボーイが「ファーストキス」なら長崎に投下されたファットマンは「セカンドキス」である。国家体制をも粉砕する原子力爆弾の本質性は激甚であった。

核抑止力とは軍産複合体の戦略である。無限競争の論理的前提である。危機感は永遠に消え去らない以上、飽くなき競争は激化する。

北朝鮮の核保有のパワーバランスは今最も日本の安全保障に取っての憂鬱である。72年の今日から始まった日本の核に対しての「されるがまま」の状態を如何に戦略的に核と対峙していくか。

リトルボーイの憂鬱は続く。