今日、福山大空襲があった。1945年8月8日。74年前だ。
市街地の高台にあった福山城が焼け落ちた。
しかしこの筋鉄門と右の伏見櫓は焼失を免れた。広島に原爆が投下され救援で福山からも多くの人々が向かった。
作家の井伏鱒二は『かきつばた』に福山空襲を描いた。『黒い雨』に繋がる。
晩年は『鞆ノ津茶会記』を書いた。その資料収集を清水凡平氏に依頼した。執筆中の作家の別荘に陣中見舞いに行った凡平氏が後に記した。
〈412〉「織部茶会記」~武士の飲食物など明記
山荘の書斎で執筆する井伏さん(信州・高森で、1983・8・) 「原稿の進み工合はいかがですか」。「うん、なかなか進まないな」と井伏さん。「海燕で鞆ノ津日記の第一回を読みましたが、主題がどう展開するのか楽しみです」。「うん。僕はね、権力を持った奴が大嫌いなんだ。
戦争は権力誇示の最(さい)たるものだね。軍人が威張っていたな。秀吉もひどいことやったんだ。僕はそのことも書こうと思っている」。
井伏鱒二は日本ペンクラブの会長を務め、文化勲章を受賞した。福山の名誉市民だ。
米軍は空襲予告をバラまいた。しかし爆撃機の下で日本人は必死の消火活動を行った。