カレーたまごの日記

小説やノベル、文芸について書きます。

テロルの恐怖の後には..。

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気温上昇で熱中症に注意。

さて、ヒートアップする「表現の自由」、やはりこの「表現の自由」の前提のようなものはある。当事者やら第三者やらが「不愉快」「不謹慎」に思う事案。その不快指数の規準のバーがすこぶる下がった気がする。何でもかんでも文句を言うクレーマーも多い時勢だ。不公正な世の中、特定の一部の人間が既得権益を守る。その為なら大多数の人間の不利益も顧みない。帰属する集団への忠誠を強いられる。その義とは何か。みんなで渡ればこわくない。

さぁ自由を守れ。どっちの自由もある。双方の自由。矛盾の語源の如く、闘争状態だ。

そう言えば、 「風流夢譚」を思い出した。作家の深沢七郎の滑稽小説だ。作中描写が皇室侮辱だと右翼が出版社に押し掛けた。

その後、嶋中事件 - Wikipediaが起きた。愛国党で薫陶を受けた少年が出版社の社長宅を襲撃した事件だ。その後、この国では「言論の自由」を巡って、更なる混乱が起きる。

もはや、日本の諸状況はあの時代にまで遡った。今回も主催者側は「表現の自由」を守る為に、ガソリン放火のテロルに怯える。

更に国家が全力で「憲法」を守らない。行政の長が自分の政治信念で圧力をかける。遂に津田氏たちは「屈服」した。

「テロルの恐怖に屈しない」そう言い放った当時東大教授の丸山真男の警護拒否も牧歌的な時代相だったのかもしれない。しかしガソリンの爆焼に最大級の警護で望んでもよかった。しかしこのタイミングではそうはいかなかったのか。

図らずも表現の不自由がこの騒動で、明示された今の日本の諸状況だ。新しい元号が始まって、テロが横行する。無差別殺人、アニメ会社へガソリン放火無差別殺人事件。そしてエボラ...。