強烈なノスタルジーは喚起されない。おかしい。音は響き渡らない。
ある作家が記憶は個人の脳内だけではなく、場所にもある、とか言うから、そんなものかな、とか思ってやって来た。
この場所で彼は青春の日々を過ごした。音楽に没頭したあの日々。この石垣に向かってサックスを吹いた。ロングトーンだ。メトロノームの振幅に併せて。先輩たちの音に併せて。
しかし、造園の無惨な改竄によって、青春の細々とした断片はあらかた消えたようだ。その高校はこの城内から遠方の高台に全面移転したのだ。駅前でもあるこの場所は公園になっていた。かつての校舎の跡には博物館、美術館が建造された。その大昔、そこには城主の寝殿があった。
初代藩主の水野勝成がこの城郭を築城した。そして間もなく400年を数える。
やはり音楽は鳴り響かない。
この城の石垣の尖端と相対して吹奏楽部の部室があった。プレハブ2階。演奏会に向けて合奏練習した記憶が蘇る。指揮台が天守角の方角に向いていた。