風の強い日だ。冬の使徒.鴨らが川面にぷっくり固まって浮かんでいた。美しい風景と鴨たちの一体感が波間に波紋を波及させる。実に美しい光景だ。
今日は気温が少し高い。昨日に続いて10℃を越した。本格的な快晴だ。
2018.1.10.遂に今年も本格始動である。ただ談論風発とはなかなかならない。
他人の批判は聞いていて面白くない。
しかし話す方は論理的一貫性を考えて「起承転結」「序破急」それに「三幕方式」を考えて問題提起、論点展開、論証そして結論へと話す流れに乗ろうとする。その中に反証としての他者批判は入り易い。
しかし聞く方からすると「またかよ」「いつものパターンかよ」と受容体の一辺倒が起動する。そして話の断片や局面の自爆トリガーにさしかかるともう我慢も忍耐も無くなって、「もういい。止めてよ」とお決まりの言論封殺である。つまり感情爆発とトーク.ジ.エンドは帰結同一であるらしい。
誠に談論風発は難しい。そもそも議論なんか成り立つのか。議論ではなくても話し合いとかトークとかあるけど、どうなのか。教示享受の教育会話ですらない有り触れた日常生活の機微たる会話である。もっと実りある充実した生活の言祝ぎはないのか。
何が問題なのか。どうすればいいのか。全くの沈黙で限りなく饒舌の胸騒ぎを耐え忍べばいいのか。
そこで無言実行である。沈黙沈黙。長野県の沈黙の掃除に見習うのだ。
すると「まるで痴呆老人じゃないの。笠智衆?」
それは断然栄誉ではない。断固たる抗議を!断固たる抗議を!