雨にも負けず。宮沢賢治かよ。
2017.7.29
ああ無情の雨が降る。傘さして花火を見る風情ってどうなんだろう。浴衣もびしょびしょ。でも天の加護によって奇跡的に晴れ上がるかも知れない。あさま山荘の篭城の時、なぜ厳寒のあの時空で放水していたかといえば爆薬弾薬を自爆させないための非常手段だった。今夜はその非常なる天の加護が大いに仇になっているのではないかしら..。
最近、考えているのはノスタルジーのセンチメントについてだけど。物語を構築する作話システムに関して共感や連帯や親和が凄く要因的にも重要なのだ。多くの最大幸福を目指す文学文藝の伝播伝導は統計と会計を抜きに出来ない現実問題なのだね。内面世界の無尽蔵は大宇宙を超越凌駕するわけだね。というかイコールなのかもしれない。自分と世界とこの大宇宙である。
ノスタルジーには時間的装置というか概念的にも想念的にも熟成する時間が必要だ。若さや青春は当事者では伺い知れない奥深き事象がある。時間を得て感得官能否感応できる確かな実感があるのだ。
夏の風物詩.花火。儚くも鮮烈。待望の予感。