カレーたまごの日記

小説やノベル、文芸について書きます。

ジャーナリスト津田大介氏は闘う。

 

ジャーナリストの津田大介氏は最近「反知性主義」に関連した著作を発表した。言語は約束で成り立つ。立憲主義というのも「法の支配」も罪刑法定主義も全て前提条件の約束を互いが守って成立する。津田氏は言論の自由を訴える。でも自由って何だろうか。知識人は憎まれる。反感と嫌悪そして憎悪と怨恨。物を言う、論ずる人間の反感は今後増して行く。

もとの「反知性主義」は「知性主義」を越える普遍性を加味した「普遍」知性主義である。憲法が「改悪」なのに「改正」だったり歴史解釈その認識が「修正」ではなく捏造だったり矮小化されたり。つまり「改正」も「修正」も言葉通りではない元来の辞書的な定義ではない言語の恣意的変容が為される。闘争状態の力学的変容性が稼働している。過分に可塑性を損なう。

かつて三島由紀夫は「言論の自由」によって自らの「革命」を闘うと言った。生前行われた早稲田の討論会においてである。東大全共闘との討論は有名だが。早稲田のときは学内の右翼学生らの招聘を受けた。私的軍事組織「楯の会」の隊員募集のリクルート的な意味合いもあったらしい。言葉の意味を権力サイドが自由好き勝手に変えていく。物書きとし絶対容認できない。暴力是認。

ジャーナリスト大谷昭宏氏は、馬鹿が権力を握っていることを知らしめるジャーナリズムの責務を全うせよ、と言った。まともではない。おかしなことばかり。どうなってしまったのか。誰が馬鹿なのか。

三島は暴力行使の学生たちの誘いを受けて単身乗り込んだ。三島は身の危険を顧みず。暴力によって既存の学者の知的教養性、知識人の自惚れの鼻を叩き割った。知的なピノキオの天狗鼻をへし折った。その功績は絶対認めると討論会で語った。暴力という形態の本質論議である。言語言論の限界性と暴力行使の是認の有効性。ペンは剣よりも強し。果たして。ポストリベラルへ。