連休最終日の夕刻、地下鉄から下車して東京駅地下街を目指す。
この開放感、この自由。
まぁこれさえあれば。
連休最終日の夕刻、地下鉄から下車して東京駅地下街を目指す。
この開放感、この自由。
まぁこれさえあれば。
盛夏ももうすぐ?曇天続きであれだけど。エアコンの風にまだ慣れないけど。
いつも夏になって暑くなると思う。猫ちゃん暑く無いかい?さすがに木陰でぐったり寝そべっていたり。高い場所で風にあたってたり。
オールシーズンの毛皮を纏う誇り貴婦人アカメちゃん。夏ぐらい厚手のコートくらい脱いでもいいじゃない。
東京都知事選の開票日。雨模様。誰に投票しようかな。消去法でいくしかないけど。
そう言えば日本初のプライバシー裁判となった三島由紀夫『宴のあと』は東京都知事選が舞台だ。三島の最初で最後の政治小説だ。実際の落選候補者から告訴された。表現の自由と公共性と個人の権利と。小説はあくまでも虚構の世界を描く。
今回の選挙はコロナ災禍での自粛解除後、感染者が激増する最中行われている。誰が次の都知事に相応しいか。正義と実績と政策と若さ?新奇さ?話題性?
この日政治的無関心を煽る驟雨が都内を覆い尽くす。天候で投票率が激変する不思議な民意。
22名の候補者らしいけど、掲示板には空白が目立つ。
さて東京はどうなるのかな。
烏賊墨カレー。墨っていいよね。黒々として太々しい。御飯も凄く合うよね。寿司もそうだけどカレーも御飯と一緒だからこの味わいなんだなとつくづく思う。柔らかい御飯が好きね。この烏賊墨カレーのぴろっと辛いのも御飯とコラボしているから味わい深い。
自粛解除のステップ1が終りそう。ステップ2.3そして...。
区から10万給付の申請用紙が届いた。
道玄坂を下る。松濤で飲食して渋谷駅へ向う。下り坂。
かの人生訓に、「人生には三つの坂がある..」と。どんな三つのさかなのかな?
謎かけ謎解き。
上り坂、下り坂。
まさか..。
かの政治家曰く、「人生には三つの場がある」
修羅場、土壇場
そして..濡れ場..。
かの政治家は直後、スキャンダルに見舞われる。
週刊文春ではなく..フライデーだったが。
愛人とのあれであった。
自粛とうとうにも「辞職」と何回も打ち間違える最近である。
ふと目が行く。坂の途中である。
はて、109って。
東急とうきゅう「10 9」らしいけど。
下り終わりはあの交差点である。
大きなイベントがあると何故か集まる群集のスクランブルだ。自粛中だからこんな感じだ。渋谷駅前である。
忠犬ハチ公の像だ。
人生の極致は忠孝なのかな。主人をけなげに待ち続ける。待ちぼうけ..。人生、光陰矢の如し、受け身ではいけない。主人など待っていてはだめだ。撃って出るべし。
あぁ東京ドームのデーゲームぅ。巨人広島戦。この大観衆。
当分の間、試合ない。何時開幕するのかなぁ。
おいしいビール、また飲みたいなぁ。
パエージャ!
祝祭を祝え。
旅行と祭典。大切な二つのベクトルだ。今ほど、移動性と祝祭性が阻止され妨害される社会的状況もないほどだ。疫病を封じ込める。集団免疫もだめなら画期的ワクチンだというけれど。
検査態勢の確立がいまだに叫ばれる。しかし殺到すれば崩壊する。パンクだ。
都内の新規感染者が激減する。もう解除してもいいのではないか。いやいや全然油断出来ない。気のゆるみが爆発的感染になった。出歩くな店開くな。自警団がいるらしいがどこでどんな活動をしているのか?
案の定、ごった返しの渋谷のサタデーナイトではなかった。主人を待つハチ公のモニュメント。いつもならぎっしり人で溢れる場所だけど。こんな閑散とした感じの渋谷がいつまで続くのか。漠然とした不安も漂う。
人生は別れが全てである筈もなく。井伏鱒二の名訳によって凄まじく逆説めいた言説が遺った。それこそ「花に嵐の例えも」あるかもしれない。価値ある人生を送った方がいいけど、だれがその価値を決めるかは自ずと自明だ。それは生きゆく自分だけだ。
出会いとその繰り返しの待ちぼうけ。人生は時間の中にしかない。生きている間のその時間の中だけ。当の本人の時間の中だけだ。回顧や追憶は生きている時間の中だけの話。
その先にスクランブル交差点が見える。外出禁止令も出せる政治的状況だ。もうすぐかも知れない。
桜も咲いて、気温も20℃を越す日々がきた。寒さも彼岸まで。3.20も過ぎた。
まぁプロのクリエイターが毎日、100日も連続でツイートした4コマ漫画の余韻がある会社の企画だったからと作品それ自体までもその連載中の得難き時間の共有までも否定しかねない話になっていくのは違うと思う。別に電通案件だって気にすることはない。そもそも電通が企画しなかったならば日の目を見なかったかもしれんよね。
平成元年の初冬にブームとなった「一杯のかけ蕎麦」の顛末を思い出した。時は自民党政権。朝日新聞の調査報道に端を発したリクルート事件によってバブル真っ最中の金権政治が最高潮にあった竹下登首相に対して追撃の国会質疑でほぼ全文朗読した議員も出た。そのとき金の延べ棒で辞めた金丸も泣いたとかの逸話もあるのだけど。その後日本のメディアのお得意の揚げ足取り、後だしジャンケンで作者の不祥事発覚でもってブームは去った。そのブームの過程で電通はこの作品の映画化を仕掛けた。
後になってこのお涙頂戴のお話を読んだ。涙腺破壊のいい話だった。この感動は今でも鮮烈だね。文芸作品ですよ。これぞ。
だから中身そのテクストの快楽をまずは味わってみる。ワニだってそうだよね。みんなワニを自分に置き換えて「もし自分が100日目に死ぬ」ってなったらどうしよう。まるでジョブズのように、毎朝、今日死ぬ自分をイメージして悔いなき日々を過ごす、みたいなことになっていたのかも知れない。でもワニだって自分が100日目に死ぬなんて気づいてすら居ない。だからいたたまれない。本当に死ぬのかなぁ。死んでほしくないなぁ。でもやぱり人間誰しも死ぬわけだし、このワニも死ぬんだろうな。どんな死に方になるのかなぁ。ロランのバルトが言うように人のセックスと話の次を知りたがるまさにセオリー通りの物語の有り様だけど。
ワニも映画となって作品世界でいきるのかな。ブームの作り方、ネットマーケットの仕掛けなど議論を呼んでいるわけだけど。仕掛けの種明かしってやらんほうがいいのかもしれないが。自作自演の狂言誘拐みたいでなんかね。
あぁこのシュークリームが食べたい。でもこんなおいしいシュークリームを作っていたお店がなくなった。いろいろなケーキをお店の奥のある工房で作っていた。昨年12月に閉店した。
黄昏の追憶めいた甘い生活を回顧したいとき、美味しい食べ物の記憶は鮮烈だ。甘い甘いケーキやシュークリームを懐かしむ。